戦争反対、愛し合いたい
先日、新宿を歩いていたらデモ行進を見かけて、イロイロ考えたのでメモします。
ちなみに、そのワードは「戦争反対、愛しあいたい」でした。 太鼓と鐘を使い、なかなかよい調子をつけて言うので、頭に残ってしまった。
戦争反対
殺し合いをしたいと思う人は居ないでしょう。
とはいえ、人類の数が多ければ利害は発生します。それは生存権の確保であったり、あるいは経済的利益・自分の生活を豊かにすることだったりでしょうか。
当然、利害というものには思想だって含まれます。
人間って「戦争反対」という思想を根拠に戦争が起こせるわけで、実際に起こしていますよね。
愛しあいたい
戦争の中心的要因が「憎しみ」「障害」なのだとすれば、その究極の対義語は「愛」で間違えていないでしょう。
人類愛によって戦争が回避できるかは僕はちょっと自信が無いですが、少なくとも発生のしきい値を上げることは出来そうです。
でもやっぱり、現実的に全ての人を愛することは難しいですよね。
僕個人の話をすれば、「こいつは好き」「こいつは嫌い」という感情を持っていますし、多くの人は同じなんじゃないかと思っています。
僕の主観から見れば、このお題目は実現不可能なほどに難しいだろうと感じました。
徹底的な理想であるか
この日、他の街宣も聞いたりしました。
どの意見も、現実的であるかはさておいて良い事を言っていると思えました。確かにそういう未来があれば、嬉しいでしょうね。
が、実現出来るかどうかを言えばなかなか厳しいでしょう。
一部を除けば、その厳しさを理解された上で叫ばれているのだろうと思ったりしました。
それは"徹底的な理想"なのでしょうね。
デモという形には賛否があるでしょうが、この"徹底的な理想"を表現することは美しいことだな、とか思いました。
そういう理想を叫べる環境
また、こういう事が表現出来る社会的な環境は良いなとも思いました。
新宿駅西口の一等地で、警察官に保護されながら、思想を表現出来るわけです。
# もちろん、ちゃんと届けさえすればですね。
なんだかんだ議論は有りますが、日本という国はやはり良く聞いてくれる場所なのでしょう。
愛の実現
人類愛が成立すれば、あの娘とか、あの娘とかも、僕を愛してくれているってことですよね。 そういう時代は、ぼくに一晩で五人を相手に出来る活力がある間に、来て欲しい。来て欲しい。