うみさまより。

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商品の見ている本質はドコか

佐村河内守さんの「ゴーストライター問題が話題になっていますね。
世間では"偽ベートーベン"とも呼ばれているらしいですが、周りの人が勝手に「ベートーベン」と呼び出したのに、突然偽物呼ばわりするのはちょっと不思議です。

まぁその呼び方そのものには関係ない話。

「良いもの」を売るためのパッケージ

"良いものが必ず売れるとは限らない"
工学系を進んできた人なら必ず聞き、そして悩ましい気持ちを抱く言葉だと思います。良いものを作る事はまず重要ですが、それをお金にするためにはセールス・マーケティングなど製造技術以外のファクタが必要になります。そして、場合によっては本質が良くなくても、そういうファクタが良いと売れたりする。
製造工程の人間としては複雑な気持ちもありますが、僕は「モノ」と「商品」という風に切り分けて理解することにしています。品質の良いそれは「良いモノ」、良くお金になるそれは「良い製品」です。

本質的な「モノ」の外側に、美しいラッピング・訴求力のあるポップがついて初めて金銭的価値を生む「商品」になるのでしょう。(この辺は、自分の実感として過去にも書いた) 佐村河内守さんの場合だと、本質の「音楽」に対して作曲家のバックグラウンドがラッピングとなって、楽曲は「商品」として強くなったと理解できます。

パッケージが破れたとき

ところで、僕がとても気になっていることが一点あります。それは、この「ゴーストライター問題」が発覚してから、楽曲そのものに対する良し悪しの評価をほとんど聞かないことです。

佐村河内名義の楽曲は本当に質が悪かったのでしょうか? 僕は音楽はわかりませんが、最初期の楽曲が「耳が聞こえない」というキャラクター無しに評価されていたことから、「モノ」の内容もさほど悪くは無かったのだろう、と考えています。(経緯はwikipedia調べ)とすれば、今はパッケージだけが破れた状態であると見れるでしょう。

そういう風な経緯を踏まえると、今の状況は面白いです。「商品」のパッケージが破れて「モノ」が露出したというのに、それは再評価されるわけではなく、そのまま捨てられているわけです。

人が見ている本質はドコか

ここから考えられることは2パターンあると思います。 * 消費者はパッケージしか評価をしない * パッケージが敗れると完全に失望され「モノ」は評価されない

このどちらなのかな、という所はまだ結論を得ていません。(ですが、この事件以外の経験も踏まえて前者なのかなぁと思ったり。)
ただ、やはりパッケージは重要だということですね。製造技術者という僕の立場からは、むやみに高品質な「モノ」を作るというよりは、高品質な「商品」を組み立てられる「モノ」を作るべし。というところでしょうか。

まとめ

どう見ても大人が出演している「女子高生モノ」アダルトビデオを、許してはならない。絶対にだ。