Yoを使った感想。
お元気でしょうか。
Yoが話題になってからだいたい1ヶ月くらい経ちました。Yoがどういう風にコミュニケーションを変えてくれたかを論じるに丁度良い時期になったかと思いますので、筆を取りました。
Yoとは
スマホ時代のお洒落なポケベル。より詳しい説明は以下。
Yoが変えたコミュニケーション
twitterで「Yo」と言うのが流行りました。
Yoはコミュニケーションに新語を持ち込んでいます。
@fimbul11 YoYoYo
— うみさま (@umisama) 2014, 7月 17
また、Yoは時に戦いの手段としても利用でき、紛争解決の新しい形を提案しています。
勝利に向けては無意味な通知を厭わない精神力と無神経さが必要です。
@umisama YoYoy…負けました…
— まなしゃ (@manami8626) 2014, 7月 17
Yoが変えなかったコミュニケーション
Yoのコンテキストとか意識して"通知ツール以上のモノとして"Yoしたのは、最初の3日だけでした。
真面目なはなし
結局、コンテキストを想像するというのは限界がある。面が向かってない状態で「この通知の意味は何だろう?」に意識を馳せるのは極めて困難だった。Yo社の言うような一つの単語の裏にいろんなコンテキストが〜というコミュニケーションは、顔が見えているから成立してる。人間、やっぱり面と向かって会話するのが一番楽しいってことじゃないだろうか。
そういう視点に立つとただの通知ツールにしかならないけれど、通知したいだけならtwitterのmentionでも良いわけで、Yoのアイコンをスマホに置いておく価値は見つけられなかった。
一方で、サービス設計としてはお手本になる。自分達が与えたいユーザ体験に向けて、最小の実装と最小の機能のみを与えていて、ちゃんとレールの上に乗って使える。小さいアプリだからというのもあるだろうけれど、これだけ洗練されたプロダクトは久しぶりに触ったと思う。
開発面では、「開発時間が5時間」って触れ込みが面白かった。アプリをunpackしてみると後ろ側はMBaaSで作られているようであったので、確かにイニシャル開発は5時間くらいで出来るかもしれない。
まとめ
僕の技量では、Yoではtwitterのように快適にセクハラできない。卑猥なコンテキストを込めて送っても気づいてもらえない。辛い。